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Activities 〜イベント・活動〜2004年7月3日
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漁港元朝 1963 ゼラチンシルバープリント 32.6p×41.5p |
前期 2004年2月08日(日)-2月22日(日) 東京都渋谷区立松濤美術館 |
2004年2月-3月に7月3日に東京都渋谷区立松濤美術館において、「村林 忠 写真展」が開催されました。
日本近代写眞史の重要な記録となる村林忠の活動の軌跡とともに、作品修復にあたり、株式会社リボテックの修復技術を多くの方にご覧いただくことができました。 また、この写真展は「アサヒカメラ 3月号」 『「必見!」飯沢耕太郎の今月のオススメ』コーナー、「CAPA
3月号」など各誌でも紹介されました。
(写真:会場風景)
以下は写真展開催時の紹介文です。
松濤美術館では、1991年の「野島康三とその時代」展を皮切りに、「モダンフォトグラフィ 中山岩太展」(1996年)、「冩眞藝術の時代 大正期の都市散策者たち」(1998年)、「石田喜一郎とシドニーカメラサークル」展(2002年)等を開催し、日本の近代写眞の紹介、発掘、資料収集に努めてきました。
この度ご紹介いたします村林忠(1915-1990)も、日本近代写眞史において重要な仕事を残した渋谷区ゆかりの写真家です。
「冩眞藝術の時代 大正期の都市散策者たち」で紹介した福原信三らの起こした日本写真会が村林の主な活躍の場でした。
1934年に入会した彼は、その確かな技術を認められ、福原信三の写真作品のプリントを1937年頃から担当するようになり、1943年に戦時に応召されるまで続けて、身近に福原を学びました。
一方で自分の作品を地道に撮り続け、日本写真会、国画会写真部に発表を続け、高く評価されるにいたります。
戦争により作品制作は中断の余儀なくされましたが、1946年渋谷区千駄ヶ谷に居を定めてからは再び写真に情熱を燃やし、1947年に「銀龍社」を設立しました。
村林が50年代後半から手がけた、風の強い川崎の埋立地風景連作や、雲の中にある太陽を取入れた逆光写真は、彼がはっきりと自分の作風を確立し、戦後日本のひとつの原風景を描ききったことを示しています。
本展では、村林孝夫により化学修復されたオリジナルプリントを含む村林の代表作約50点に、福原信三氏の90年前に製作された「パリとセーヌ」ヴィンテージプリント3枚を化学修復して参考展示、福原信三作品などの参考展示、資料を加え、写真作家にして職人でもあった、村林忠の写真の魅力をご紹介いたします。
(写真:左の3作品が修復された「パリとセーヌ」)
村林忠は、1915年(大正4年)東京六本木に生まれ、写真材料問屋「近江屋写真用品」「資生堂」写真部を経てフリーに。資生堂、日産自動車の宣伝広告写真を撮る。
同時に日本写真会の同人として後進の指導をしながら作品を制作、100数十点が残されている。
1969年銀汚染の除去に成功し誰もなし得なかったモノクロ写真ネガフィルムとガラス乾板の化学修復法を発明、福原信三、路草両氏の横浜美術館に永久収蔵されたプリントを制作し、つくば万博のつくば写真美術展に自身の作品を出品すると同時に、小石清氏のオリジナルネガをクリーニングし、モダンプリントを制作した。
1990年1月大田区大森にて永眠。